あらすじ
私の病気は、骨髄異形成症候群から急性骨髄性白血病に移行したタイプです。この場合、抗がん剤による化学療法をしても、一時的に白血病細胞が減るだけで、やがてはまた増えてきます。そこで造血幹細胞移植が選択肢として考慮されます。ただし、移植は非常にリスクが高いので、年齢や体調を考慮して可能であると判断された場合に行われます。
私の場合は、体調面などは問題なかったので、移植をすることを選びました。ていうか、最初の病院で治るにはそれしかないみたいなことを言われたし、実際そうみたいだし、選ぶしかありませんでした。
家族ではHLA型が合わなかったので、骨髄バンクからの移植となり、ドナー探しが始まりました。さい帯血移植もありますが、それはバンクドナーが見つからなかった場合に選ぶという方針でした。
候補が絞られていく
ドナー探しは、骨髄バンクの移植コーディネーターの方が行います。レシピエント(移植を受ける人)は経過を主治医を介して限定的に知ることができます。HLA型が完全一致する登録者もいたみたいですが、時がたつにつれて減っていき、結局一座不一致の人で話が進んでいきました。本命がいて他に数人候補がいるようでした。
どういう経緯で絞られていったのかは分かりません。単純に年齢や体格等で選ばれなかったり、先方の都合で断られたこともあったでしょう。ただ、こればかりは人の善意であり、決定の過程にまったく介入できないので、運の問題なのかなと思います。候補がいるだけ運がよかったと思っています。
最終決定
最初の入院から退院して2か月ほどして、先生から、ドナーさんの最終同意面接がある、これでOKとなればそのドナーさんで骨髄移植となると知らされました。
そしてその2週間後、最終同意が無事に済み、ドナーさんと移植日が決定したと伝えられました。HLA型はDR座が1つ不一致。移植日は1か月半後。
骨髄バンクに患者登録して約7か月で決定しました。これくらいが標準なのかな。
最後に
決定した時の日記にはこんなことが書いてあります。
いよいよ決定。
いずれやることだから大きな心の揺れはない。とにかく決まったことだし、その日に向けて心身ともに準備をしていこう。
いちばん大事なのは、その日まで体調を現状維持すること。
いずれやることだから大きな心の揺れはない。とにかく決まったことだし、その日に向けて心身ともに準備をしていこう。
いちばん大事なのは、その日まで体調を現状維持すること。
気持ちに揺れはないといっても、いよいよかという緊張はありました。うれしいというより、後戻りできないところまで来たなという感覚でした。
あと、移植コーディネーターの皆さん、本当にありがとうございました。大変な仕事だと思います。まだ道半ばですが、今こうしていられるのは皆さんのおかげです。感謝しています。
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