2012年2月26日

【1-9】第1章のまとめ(のようなもの)


1回目の入院が決まり、次回あたりから次の章に入っていくつもりです。

というわけで今回は第1章のまとめのような、振り返りのような雑記を書いていきます。

第1章の記事

【1-1】病気の発覚
【1-2】発覚の裏で
【1-3】移植認定病院への移行決定まで
【1-4】新しい病院の初診
【1-5】長期休養開始
【1-6】休養初期の生活
【1-7】面倒くさがらずやるべき精子保存
【1-8】入院前までの病状の推移

やっぱり定期的な健康診断は受けるべき


全てはここから始まりました。会社勤めの人は1年に1回健康診断を受けていると思います。それ以外の人も1年に1回は診てもらうのがいいと思います。

私の場合、その1年前の健康診断では、血小板が少し低い程度で特に病院に行けとか言われなかったです。そしてその1年後大変なことになっていました。これを考えると、1年でけっこう病状が進行しています。だから1年に1回は健康診断を受けておくべきだと思います。

ときどきまったく受けないのが信条という人もいますが、そう言える人はそれまで大きな病気になったことがないというだけであって、そういう考え方でいれば病気にならないという保証はどこにも無いですよね。

ちょっと裏話
この健康診断ですが、本当は1か月先に予定されていました。しかし、同じ課の人が都合が合わず替わってほしいと言われたため、1か月前倒しで健康診断を受けたのです。

1か月後のヘモグロビン値が6g/dlを切っていたことを考えると、この日程の交換がなかったらどこかで倒れていたかもしれません。不思議なめぐり合わせを感じました。

自分だけの問題ではない

当然ですが、大きな病気にかかると多かれ少なかれ周りの人間に影響を与えることになります。

まず家族。これは避けられません。私の場合、毎回母親と一緒に診断を受けていました。血球の数値が低く、感染しやすい状態であったため、家にいる時間が多くなりましたが、なるべくネガティブな考えにならないようにしていたので、家庭内の雰囲気はいつもと変わりなくいられました。

勤めている会社の人たちにも影響があります。発覚前に担当していたプロジェクトは別の人に引き継いでもらいました。かなり大変な状況で引き継いだので申し訳なかったです。また、課長・部長にとっても部下が血液のがんにかかるということは初めてのことらしく、その対応に苦心されているようでした。

いろいろな人を巻き込みます。私の場合、まだ背負っているものが少なかったのでまだその影響は小さかったのかなとは思いますが。周りの人のことを思えば、暗くなったり捨て鉢になったりすることはナンセンス。恩知らずです。八つ当たりとかもありえませんよ。

気にしすぎもいけないですが、周りの人への感謝は忘れずに。

まだ何も成してない

まだ何もやってない。だからまだ死ねない、と思いました。今もそう思っています。

まだ何も社会に対して残していない。貢献していない。まだ受け取ってばかり。それにこれまで後悔ばかりしてきた。

そんな人生をこのまま終わらせるなんてしたくない。

こういう時こそいつもどおりに

そんなこんなでいろいろな想いは出てきますが、そんな悲観的になってもしようがないです。休養なのだからのんびりいつもどおりにしていればいいのではないでしょうか。痛いとかそういうのがなかったから、こういうことが言えるのかもしれないですが。

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さて、第2章へ入っていきます。第2章では最初の入院期間のことを書いていきます。

病名が急性骨髄性白血病に変わり、化学療法を受けます。この入院からリアルタイムで書いていた日記があるので、それも交えつつ進めていきます。

では。

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